大阪の話題とかそんなん

ぶらぶら配信で出会った石碑「伏見橋旧跡」

なみはやノーツの配信をぶらぶらしていると、意外なものに出逢ったりするのです。
それは人であったり、看板であったり、狛犬さんだったり、こんなものがこんなところにあったんだと、いつもびっくりさせられています。

で、今回の真田山の配信もそう。ここは1週間前に事前に下見したにもかかわらず、発見出来なくて意外なものではありました。この「伏見橋旧跡」もそのひとつ。


この石碑。ぐぐってみると猫間川の支流である水路に架けられていた橋であるようで、猫間川が埋め立てられるまでは水路として使われていたようです。動画の中ではどういう船が通ったのかはわかりません。と書きましたが、この付近は有名な造り酒屋があったようで、その物資輸送に使われていたようです。さらに突き詰めていくと、付近の清水谷からの湧き水が源流だとするサイトを発見しました。

天保の川浚え−「猫間川源流探検記」
http://www.occn.zaq.ne.jp/ringo-do/tanken_tenpo.htm

猫間川源流探検記さんところのサイトはかなり読み応えがあって、データも豊富で良サイトですね。


そして、この石碑にはもう一つの顔、「紀元2600年記念」という文字もありました。
昭和15年に初代神武天皇即位の年から数えて2600年にあたり、様々な行事が国全体で執り行われた年であります。
日本は日中戦争が勃発・泥沼化していく中、国体護持に相当な威力を発揮したのでしょう。靖国・伊勢・橿原神宮などに参拝、勤労奉仕、様々なものへの寄付行為。その中で、この石碑も地元東坂町住民がお金を出し合って作られたのでしょう。こういうものも戦跡と呼んでいいんじゃないかな?一応戦時中だし、、、、


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中央区玉造1丁目12 朝風呂で有名な玉造温泉の裏手にあります