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昭和18年5月1日現在の系統一覧

昭和18年5月1日現在の系統一覧

系統番号,始発,経由地,終点,備考
1,阿倍野橋,播磨町,堺東駅
2,阿倍野橋,東天下茶屋,遠里小野橋,(区間運転)
特2,阿倍野橋,東天下茶屋,住吉車庫前,(区間運転)
3,阿倍野橋,東天下茶屋,播磨町,(区間運転)
4,阿倍野橋,東天下茶屋,田辺本町
5,阿倍野橋,東天下茶屋,南田辺


8,阿倍野橋,斉場前・今川町,平野田端町,斉場前=現・阿倍野筋4丁目
特8,阿倍野橋,斉場前,今川町,(区間運転)
9,阿倍野橋,寺田町・百済,平野京町
特9,阿倍野橋,寺田町・百済,今川町,(区間運転)
10,阿倍野橋,天西・松屋町筋,天神橋筋6丁目
11,阿倍野橋,松屋町筋・北浜2丁目・大阪駅前,桜橋
12
特12,大池橋,勝山通3丁目,阿倍野橋
13,今里,大池橋・百済,天王寺西門前
特13,大池橋,百済,天王寺西門前
14,今里,大地・平野駅筋,関急八尾
特14,今里,大地,平野駅
15,今里,片江4丁目・中小阪,小阪
特15,今里,片江4丁目,荒川商議所前
16,玉造,今里・深江,布施
特16,今里,深江,布施
17,今里,深江,放出駅前
18,関急八尾,沢ノ川前,省線八尾
19
20,布施四条通,−,衣摺
21甲,布施三ノ瀬,上本町6丁目・千日前,賑橋
21乙,片江4丁目,上本町6丁目・千日前,賑橋
特21,布施三ノ瀬,−,今里
22
23
24,下味原,千日前・境川,市岡元町4丁目
25,森之宮,下味原・千日前,賑橋
26,森之宮,緑橋,深江橋
特26,森之宮,緑橋,東今里町,(区間運転)
27,森之宮,中浜町,朝日橋
28,片町,朝日橋・極楽橋,放出駅前
29,片町,朝日橋・極楽橋,徳庵駅
30,今市町,蒲生町4丁目,今里
特30,蒲生町4丁目,−,今里
31,今市町,野江・東野田,南森町
32,今市町,野江・都島本通3丁目,天神橋筋6丁目
特32,今市町,野江,都島本通3丁目
33
34,天神橋筋6丁目,御堂筋,難波
35,千舟橋,辰巳橋・渡辺橋,阪神阪急前
特35,天神橋筋6丁目,梅田・船津橋,市岡元町4丁目
36
特36甲,阪急阪神前,源八橋・空心2丁目,蒲生町4丁目
特36乙,阪急阪神前,南森町,蒲生町4丁目
特36-1,蒲生町4丁目,−,東野田4丁目
37,桜橋,阪急阪神前・中崎町,菅原町
38
特38,桜橋,御堂筋,難波
39,福島西通,十三,三国
40,福島西通,十三,新三国橋
特40,福島西通,−,十三
41,野田阪神前,梅田新道・御堂筋,難波
42,本田通1丁目,境川,福崎渡
43
44
45,千舟橋,南福崎町,甚平渡
46,住吉公園,橘通9丁目,大国町
47
48
49,住吉公園,天下茶屋,大国町
50,難波,御堂筋・北浜2丁目,偕行社前
51
52,住吉南海前,住吉川,護国神社前
53,住吉南海前,浜口町中2丁目,護国神社前
54,千鳥橋,−,桜島

少し見にくいと思いますが、csvで処理を想定しているので、あえてこういう様式で公開していこうと思います。

系統番号、始発地、経由地(複数ある場合は全角ピリオド「・」を使用)

、終点、備考

の順に並んでおります。


改めてこの表を眺めていると、ある事に気づきます。

路線が、阿倍野橋を起点として反時計回りで符番されている事です。
1が阿倍野橋から南下する系統に付けられ、その後今里起点の系統、その後は布施・森ノ宮・片町・今市・天六・阪急阪神前・福島西通・野田阪神前・大国町・難波・住吉と、ターミナルとなっている場所から出る系統に順番に付けられています。なお、これは市電の系統符番方法と一緒なんですよね。実は。

系統番号に空白があるのは、路線を休止された事による系統の休止があったためです。ご存知の通り、昭和15年6月に民営バスの大阪バスを買収し、系統整理をしました。その当時からガソリン配給制が実施された事により、何度かの路線休止が実施されているんですよね。

最後の54がこの符番方法から外れているのは、新設系統であったためのようです。新設系統は符番方法に関係なく、計画された段階から若い順に付けられています。

此花区(当時は西淀川区)の桜島は、当時はたくさんの軍需工場があったための対応策とも思われます。ガソリン統制があったにもかかわらず新設されたというのは、相当な需要があったためでしょうね。その後1年を待たずに休止されちゃうんですがね(汗

 

それでは解説にいってみましょう〜

 1 阿倍野橋ー播磨町ー堺東駅
 2 阿倍野橋ー東天下茶屋ー遠里小野橋,(区間運転)
特2 阿倍野橋ー東天下茶屋ー住吉車庫前,(区間運転)
 3 阿倍野橋ー東天下茶屋ー播磨町,(区間運転)
 4 阿倍野橋ー東天下茶屋ー田辺本町
 5 阿倍野橋ー東天下茶屋ー南田辺

現在の62のご先祖様。というか、1号系統が昭和54年に62に改番されているので、現在も走っている系統です。

4・5がどのあたりを通っていたのかは不明ですが、5は阪南町を通っている気がします(予想ですが)5は東天下茶屋(現在の王子町?)で折れて、4は阿倍野筋8丁目(北畠公園前)で折れています。田辺本町は南海平野線田辺電停(現在の地下鉄田辺付近?)、南田辺は阪和電鉄(JR阪和線南田辺駅付近ではないかと考えられます。


 8 阿倍野橋ー斉場前・今川町ー平野田端町
特8 阿倍野橋ー斉場前ー今川町
 9 阿倍野橋ー寺田町・百済ー平野京町
特9 阿倍野橋ー寺田町・百済ー今川町

8は現在の美章園経由の6ですね。今川町は現在の育和公園前です。平野田端町は平野念仏寺の少し東あたりの、商店街近くにあったようです。
9は現在も同じ番号で存続しています。平野京町は今の平野宮町2です。

10 阿倍野橋ー天西・松屋町筋ー天神橋筋6丁目
11 阿倍野橋ー松屋町筋・北浜2丁目・大阪駅前ー桜橋

10・11は北の市内向きに行く系統。いずれも市電の通っていない松屋町筋を経由していますね

特12 大池橋ー勝山通3丁目ー阿倍野橋
 13 今里ー大池橋・百済ー天王寺西門前
特13 大池橋ー百済ー天王寺西門前
 14 今里ー大池・平野駅筋ー関急八尾
特14 今里ー大池ー平野駅
 15 今里ー片江4丁目・中小阪ー小阪
特15 今里ー片江4丁目ー荒川商議所前
 16 玉造ー今里・深江ー布施
特16 今里ー深江ー布施
 17 今里ー深江ー放出駅前

12〜17は今里を起点とするグループ

この辺りは市街化されているにもかかわらず、鉄道駅から離れており、交通需要に応えられるように多数設定されていたのでしょう。今里からは市電に乗り継ぐように設定されています。「特」系統というのは、この時代は区間系統に付けることになっていたようですので、特12は本系統がないということになります。おそらく本系統は今里起点だと思いまが、当時は道路は開通しているのに大池橋を渡る系統がありませんでした。大池橋がバス乗り入れに対応していない木橋ではなかったかと推測されます。

12・13は現存しています。14は当時巽村の街道筋の足代(中川東)や大地(巽中)を経由して省線平野駅まで出ていたようです。この道は現在の府道平野守口線ですね。(一部違う場所があります)
15は地下鉄小路の東西通りを経由して河内小阪駅へ到達する道路、17は深江から東大阪市の市界の道路を通るルートと推測されます

 18  関急八尾ー沢ノ川前ー省線八尾
 20  布施四条通ー−ー衣摺
 21甲 布施三ノ瀬ー上本町6丁目・千日前ー賑橋
 21乙 片江4丁目ー上本町6丁目・千日前ー賑橋
特21  布施三ノ瀬ー−ー今里

18〜21は布施を中心に発着していた系統です。当時は大阪バスを買収した関係上、布施町を発着する系統がいくつかありました。

18の関急は近鉄。当時は大阪電気軌道「大軌」から関西急行電鉄になり「関急」の略称になったからでしょう。沢ノ川がどこかがわかりませんが。20の布施四条通は、現在でも近鉄の四条通バス停が存在しています。ここから大阪八尾線への路線です。
21の甲乙系統がありますが、どのように符番されたのか気になりますね。現在は甲乙は右回り・左回りを意味しますからね。おそらく特系統と区別したのかとは思いますが、、、それじゃ特系統が2つある36は???なお、片江4丁目は現在の小路1丁目です。

 24 下味原ー千日前・境川ー市岡元町4丁目
 25 森之宮ー下味原・千日前ー賑橋
 26 森之宮ー緑橋ー深江橋
特26 森之宮ー緑橋ー東今里町
 27 森之宮ー中浜町ー朝日橋
 28 片町ー朝日橋・極楽橋ー放出駅前
 29 片町ー朝日橋・極楽橋ー徳庵駅

26〜29は東成・城東区南側を主なエリアとする路線です
27は森ノ宮から城東練兵場(現在の検車区や森ノ宮公団住宅)の外周部を走り朝日橋を目指していました。28は現存していますが、現在の区間ではなく、寝屋川左岸、府道石切大阪線を走っています。

 30 今市町ー蒲生町4丁目ー今里
特30 蒲生町4丁目ー−ー今里
 31 今市町ー野江・東野田ー南森町
 32 今市町ー野江・都島本通3丁目ー天神橋筋6丁目
特32 今市町ー野江ー都島本通3丁目

30〜32は今市を起点にする系統。30は現在でも35が走ります。後述するトロバス開業に伴い、一旦廃止されるんですがね。31は京街道を走ります。京橋駅前の京街道商店街に入り、野江神社へ出ます。

 34  天神橋筋6丁目ー御堂筋ー難波
 35  千舟橋ー辰巳橋・渡辺橋ー阪神阪急前
特35  天神橋筋6丁目ー梅田・船津橋ー市岡元町4丁目
特36甲 阪急阪神前ー源八橋・空心2丁目ー蒲生町4丁目
特36乙 阪急阪神前ー南森町ー蒲生町4丁目
特36-1 蒲生町4丁目ー−ー東野田4丁目
 37  桜橋ー阪急阪神前・中崎町ー菅原町
特38  桜橋ー御堂筋ー難波

34〜38は天六・大阪駅周辺が起点の系統です。34も現行系統ですが、今とは全く違う路線なんですよね。度重なる経路変更で現在の路線になったんですよ。35は中之島通から、船津橋ー本田1を通って、まだ開通もしていない中央大通あたりをトレースしながら朝潮橋まで出て、八幡屋から現在の20を少しだけトレースして千舟橋まで向かうルート。梅田付近は循環運転をしていますが、特系統は渡辺橋から梅田・中崎町を通って天六に行くルートだったようです。36は現存ですが、経由地が空心町2丁目(東天満)から源八橋の天満橋筋を通るのがメインルートでした。なお、本系統(阪急阪神前ー鶴見町)は、資料によっては休止扱いとなっていないものもあります。

 39 福島西通ー十三ー三国
 40 福島西通ー十三ー新三国橋
特40 福島西通ー−ー十三
 41 野田阪神前ー梅田新道・御堂筋ー難波

福島・野田を起点とする系統です。39は現行。
39・40は、十三手前で別に分かれ、39は旧街道をとおり阪急三国駅東側付近まで(どこらへんかまではわかりません)。40は新国道を経て新三国橋まで走っています。福島西通は中途半端と思われるでしょうが、福島西通から市電に乗り換えれば市内中心部へ行くようになっています。


42 本田通1丁目ー境川ー福崎渡
45 千舟橋ー南福崎町ー甚平渡

旧港区起点の系統。本田1起点は市電の関係でそうなっているのでしょう。境川から尻無川沿いに走っていたようです。45は現在の20・51のルートですね。千舟橋で市電と乗り換える形をとっています。通勤輸送に徹していますね。


46 住吉公園ー橘通9丁目ー大国町
49 住吉公園ー天下茶屋ー大国町
52 住吉南海前ー住吉川ー護国神社前
53 住吉南海前ー浜口町中2丁目ー護国神社前

住吉発着の系統です。49は現行。国道26号を一直線に通りますが、46は十三間川(現在は阪神高速堺線)東側を走っていたようです。52・53は南海住吉公園駅前から、52は姫松橋等住吉川沿いに、53は浜口を通って護国神社前(地下鉄住之江公園)へ向かっていたようです。


50 難波ー御堂筋・北浜2丁目ー偕行社前
54 千鳥橋ー−ー桜島

50は淀屋橋までは御堂筋を。偕行社前は京阪東口ですね

 

というわけで、戦時中の昭和18年5月の、貴重な運転系統一覧を交通局50年史から拾ってみました。

その後は終戦時までわかるものがありません。それこそ資料をあさらないと見えて来ないものもあります。