大阪の話題とかそんなん

戦前の大阪市内の路線バス

私のブログって以前はlivedoorにあって長年使っていなかったんですが、気分一新としてはてなダイアリーにお引っ越ししてまいりました。(データは引き継がなかったので、新しい日記として使ったというのが正解でしょうか)
でもですね。一番最初の使い方は「大阪市バスの路線図本」という、長年の企画をまとめるために立ち上げたブログだったりします。
その企画は私の「忙しい」というちんけな言い訳で、20年近くも放置されているんですよね。ええ、何とかしたいものです。

で、そんな企画を相変わらず放置しながら、北区魅力向上サポーターがやっている「つひまぶ」のブログを書こうと思っていたんですね。
今度の担当が私で、28日が締め切りなんですよ。ええ、今時計は27日の22時を回っていますね。あと1時間ちょっとしかないんですが、ネタすらないという危機的状況┌(* ̄0 ̄)┐ ワーッハッハッハッ・・・・




どうすんねん……(´・ω:;.:...





まあ、こういうときにはぐーぐる先生に頼むべきでしょ。っと、色々検索などをかけてネタを拾ったりしていたんですよ。
そうすると、まあこういう画像にぶち当たっちゃったんですよ。


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http://www.city.osaka.lg.jp/somu/page/0000062075.html
大阪市市民の方へ デジタルギャラリー2008

大阪市交文書館にあった画像なんですが、戦前(昭和13年現在)の市内バス路線図ではありませんか。

当時は、大阪市バスと民営バスである大阪バスが激しく対立していて、今では考えられないダンピング攻勢をかけて血みどろの戦いを民間企業と公営がやっていたんです。(これらの事情はリンク先をご覧ください)
昭和15年に市側が買収という形で収束して、昭和19年に完全に一元化に成功したんですが、そのあたりの戦前の資料っていうのが極端に少ないんですね。戦災で焼けちゃったり、情報公開?何それおいしいの?状態なので、私らがそういう資料を見つけるのが非常に困難なんですよね。

この路線図が貴重なのは、他の民営バスもしっかり記載されているところでしょうか。市バス(銀バス)と大阪バス(青バス)は対立していたので、その路線図などはそこそこ資料が出てくるのですが、それ以外のバス路線なんてよくわかっていないことが多いんです。これで、大阪市周辺部の交通状況が一目でわかりました。

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わかりやすく色分けして、さて、解説していきましょうか。まずは北側から。

会社としては4つ
阪神合同バス(青色で表記)
京阪バス(赤色で表記)
阪国バス(緑色で表記)
阪神バス(橙色で表記)

阪神合同バスは現在の阪急バス。十三を起点に能勢街道を北上するのは阪北線ですね。今も国道176号線を走っています。当時は新三国橋がまだ架かっていない頃。その先の庄内村(現:豊中市)も一部用地買収が行われていないためか旧道経由となっています。今も69号系統が走行していますね(淀川小学校付近)。
反対の西側は加島線。神崎橋付近まで路線が延びています。

京阪バス守口市内線は現在は京阪守口市駅が起点となっていますが、1番のみ滝井を経由して八番から寝屋川市まで走っていますよね。あれは元々京橋や天満橋が起点だった頃の名残ですが、もっとさかのぼれば京阪バスの起点は滝井だったんです。市電との乗り継ぎを考慮しているために終点が滝井だったというわけ。滝井のバスベイが整っているのはその名残なんです。この路線図では、京阪バスは太子橋付近まで路線が延びているような感じがしますが、よくわかりません。昔の地図ってフリーハンドで書いていることも多いので、滝井までかもしれません。

もうひとつ、東淀川区にも京阪バスの路線がありますね。何故右岸京阪バス?とか思うかもしれませんが、当時、阪急京都線は「新京阪電気鉄道」。つまり、京阪の系列会社だったので、バス会社も京阪バスが運営していたということ。昭和初めに開業した個人経営の路線を京阪バスが買収したようです。開業当時は長柄橋北詰が起点でしたが、長柄橋がコンクリートの新しい橋に建て替えられたことで、南詰めまで延長されました。南詰めには市電が開通していたので、これと連絡出来るように考慮していたのでしょう。

そして、私の知らなかった路線が都島橋東詰から赤川までの路線。淀川を北上して、毛馬橋を過ぎたあたりで東に向きを変え、同時広い直線道路を赤川町8丁目電停(現:赤川1丁目)手前あたりに終点があるようです。場所を推測すると、旧:大東町1丁目バス停あたりでしょうか。ここに京阪がバス路線を持っているのは興味深くて、京阪梅田線がこのあたりを通過する予定があり、新京阪線もこの地に延伸さす計画もあり、赤川が乗り換え駅となるような壮大な計画が立てられていたようです。

阪国バスは、正式名称を阪神国道バスといい、現在の阪神バスですわ。登記上は現在阪神タクシーだそうですが。大正末期に阪神国道(国道2号線)が開通し、ここにバスを営業しようと多数の業者が申請を目論んでいたそうです。この時期にバスが儲かることがわかってきたためなんだとか。これでは過当競争が起きるとして、申請を一本化。阪神と阪急、それに有力事業者の三者で合同のバス会社を設立したのが「阪神国道バス」。その後、株式を阪神に譲渡したために、実質は阪神の関連会社になったという経緯があるようです。
というわけで、2号線の起点の梅田新道から2号線を延々と走り、神戸税関前まで走っていたそうです。(昭和47年に野田阪神までに短縮。現在は実質阪神杭瀬駅北が起点ですね)

最後に阪神バス。現在の阪神バスではありません。この阪神バスは淀川乗合自動車を阪神が買い取って阪神バスに名前を変更。その後、阪神直営となります。
ここも京阪バスと同じく長柄橋南詰が起点となり、淀川の堤防を走って、姫里から大和田街道を通って、佃の43号線にある辰巳橋まで走っていたそうです。戦後は西淀川の区間を捨て、淀川大橋から野田阪神前に経路変更しています。

いやあ、ネットにはまだまだいろんな情報が落ちていますね。この地図は大阪市公文書館に行けば恐らく手に入るのでしょう。ちょっと情報公開したい気分であります。


さてと、今日付が変わって28日になりました。つひまぶブログの締め切りはとうに過ぎちゃったけど、どうしようか(T▽T)アハハ!