大阪の話題とかそんなん

脱グローバル論〜ニッポンの未来のつくりかた〜シンポジウムの書き起こし(前半)

お久しぶりです。かいちょうです。
最近は何をしているかというと、ずーっと書き起こしをしておりました。

実は、22日の土曜日に、天六の住まい情報センターのホールで「脱グローバル論〜ニッポンの未来のつくりかた〜」のシンポジウムがあって行って来たのでした。

実は、同名の書籍の出版記念のシンポジウムなんですが、ずっと支援して来た平松さんと、大好きな内田樹さんが共著(他にも多数いるんですが)した本ですので、これは行かなきゃ−と思い、予約していたんですね。

ちなみに、書籍はこちら

脱グローバル論 日本の未来のつくりかた

脱グローバル論 日本の未来のつくりかた

で、まあ私も色々これからチャレンジしてみようと思うことがあって、文字の書き起こしをするチャンスかなというわけで、その内容を書き起こしてみました。

この書き起こした文章は私に著作があるようなんですが、その前に、主催者と出演者に許諾を取らないと、本来公開してはいけない物だと思うんです。今回は私の周りで興味ある人に、個別に配布しようかなと思っていました。
しかし、今回はUstreamで配信をして(岩上安身さんところのチャンネル。私も後ろ姿が映ってるww)おりましたし、まあ、大丈夫かなあ?と思いましたので、あえてブログで公開させて頂きました。
問題があったら教えて下さいまし。

なお、USTのアーカイブはこちらですよん。
http://www.ustream.tv/recorded/34754279
http://www.ustream.tv/recorded/34756063


というわけで、はじまりはじまり〜


(なお、現状は文字起こしをしただけです。句読点の位置がまずかったり、漢字変換がうまくいってない部分もありますので念のため書いておきます。)

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私は公共政策ラボ事務方をやっております斉藤努と申します。
で、その公共政策ラボを運営している会社が株式会社ウィズという非常に小さな会社で、その代表を務めておりまして、これまで会員の皆様を始め非常に多くのみなさんに平松さんからfacebookとか、お知らせが行っていると思うんですけれども、そういうことの事務方を一切ほとんど会員の方へのメールだとか、私ひとりでやっているという、そういう感じで零細企業でありますのでこれだけ多くの方に集まっていただいて本当に嬉しい限りであります。今後ともよろしくお願いします

今日はですね。全4回、東京で2回関西で2回、今ニッポン、何故という総合タイトルでシンポジウムをずーっと連続開催させていただきました。その集大成といたしまして、その4回を一冊の本にまとめました。脱グローバル論 ニッポンの未来のつくりかた。これがですね。非常に実はよく売れておりまして。まだ発売12日目ですか。もう3回の増刷をしておりまして、やったーっと喜んでおりまして、今紀伊国屋書店等では売り切れ状態でありまして
これは読んでいただくと内田先生のまえがきだけでも読んでいただければ。本屋さんで立ち読みで。はい
それだけで中身を楽しめる部分もあるんですけれども、大変いい出来かなあと苦労した甲斐があるかなーと思っております。

で、公共政策ラボの活動はこれからもずっと続けていきたいと思っているんですが、みなさんのパンフレットには挟み込んでおります公共政策ラボというのがありますねーPPLこれは平松さん   できればひとつ、このーネット上からですね、会員申し込みをしていただきますと、わずかな金額でございますんで、どうぞちょっとだけキーボードを叩いていただければ嬉しいなという風に思っています。なるべく多くの方が参加して頂いて、こういう会をどんどんご紹介が出来たらいいなあと思っておりますんで、よろしくお願いしたいと思います。

この公共政策ラボを支えてるのが株式会社ウィズ、実は同じスタッフでやっているんですけれども、これは個別の公演であると言うことをご依頼があれば講師を派遣するという形でやっておりまして、今のところ実績はほぼ0に近いです。従いまして、この名前を見てあるいはこれ以外の名前もありますが、私を含めて、ちょっと呼んで喋ってもらおうかということがありましたら、いくらでもご相談に応じますんで、それもネットを通じて申し込んで頂くか、またメールをくださったら嬉しいなあと思っております。

実はですね。どんな企業でもそうなんですが、ブランドイメージを作るということはどういうことかというと、多分ですね、きちっと中身をちゃんと伝えきることだとこれが第一歩なんだと思うんですね。その意味では一番困るのは皆様名前書いてあるんですけど、値段がいくらか書いていないんです。これはですね。市民団体から大企業までいっぱいありますんで、中々一律に出来ないんですが、出来るだけ、社会の発展のためということであればですね、先生方に言ってただでやれとは言いませんけれども、足を運んで頂きたいという、そういう交渉はさせて頂こうかと思いますので、ひとつよろしくお願いいたします。

それと、ペラいちのA4があるんですけれども、これに関しましてはですね、平松さんの支持母体であります元気ネット大阪これが懇親会を行うということで、ちょっとお値段的に張りますんでちょっとこっちは勘弁というのであればですね、公共政策ラボ1周年という形で後援会も急きょ用意いたしましたんで、出来ればご参加いただけたらという風に思っておりますで、よろしくお願いいたします。

今日この催しをやると言ったら、八尾市長であるとか、双発の変な飛行機が飛んでくる八尾市ですね。八尾市長であるとか、それから吹田市長であるとか、多くの方々からも声援を頂いております。

さあ、それではですね。メンバーが揃ったと思いますんで、ただいまから紹介してまいりますんで、どうぞ皆様盛大な拍手でお迎えいただきたいと思います。どうぞお入りください。

(拍手)

私の方から一人一人お名前をと思いましたが、ここはやはり平松さんから紹介してもらったほうがいいかなと思いまして、平松さんよろしくお願いします。

(平松)
みなさんこんにちはー。(こんにちはー)あのー、後ろの方までちゃんと聞こえておりますでしょうか?大丈夫ですかー?ありがとうございます。手を挙げて頂きまして。

前・大阪市長の(笑)平松邦夫でございます。今は公共政策ラボ代表としてシンポジウムをやらせて頂いたり、本も出させて頂きました。内田先生そして中島先生のお二方がおみえでございます、あと平川克美さん小田島隆さん、そしてイケダハヤト・高木新平という若い二人。私が全部コーディネーターをやらせて頂きました。
コーディネーター、今日もコーディネーターやらせて頂きますが、元・アナウンサーやっておりましてね、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが。アナウンサーやったら司会くらい出来るやろうと、こういう固定観念の元で司会をやらせて頂きながら本当に楽しんでおります。何しろ、日本の知性を代表すると言われる方とこういう形で近くお話が出来るということ自体も楽しいですし、実際に話が進んでいるうちに、なんか自分の感性が刺激される瞬間というものがいくつもありました。それが、この本になりました。今日、売るほど持って来ておりますんで(笑)もうお買い求めいただいた方は結構でございますが、あ、ちょっと入るの慌てたから買うの忘れたと、おっしゃる方は、帰りに売るほど積んでおりますんでぜひお買い求めいただきたいと思います。

脱グローバル論 日本の未来のつくりかたの出版記念シンポジウムをただいまから始めさせて頂きたいと思います。よろしくお願いします。(拍手)

シンポジウムのパネリストをご紹介いたします。神戸女学院大学名誉教授であり、凱風館館長でもございます、内田樹さんでございます。(拍手)
北海道大学准教授、そして、朝日放送のキャスト!のコメンテーターでもあります中島岳志さんです。(拍手)
そして、浄土真宗如来寺住職でございまして、相愛大学の教授釈徹宗さんでございます。(拍手)

中島さんが30代、釈さんが50代、内田さんが60代、私も60代という、幅の広いメンツで今日はお届けするわけです。では座らせて頂きます。時間は大体8時半を終了の目処としております。あっという間に過ぎてしまう時間になると思います。
今日は本当に多くの皆様にfacebookそしてツイッター等を通じて拡散をして頂き、こういう形でお集まりいただきましたことを心から感謝申し上げます。
この場所は、天神橋筋6丁目のすぐ上にございます。大阪市立住まい情報センターの、ホールでございます。
大阪市立、、、、でございます(笑)で、申し込みをした時に、公共政策ラボで申し込むわけです。代表平松邦夫書いてあるんです。多分職員は悩んだと思うんです。貸して、ええんやろかー(笑)

どやろか〜?とは、悩んだとは思いますが、今日は定刻にちゃんと鍵を開けてくれて(笑)ほっとしております。

非常に固い話になるん違うかな、退屈やったら困るなという方のために、ちょっと今日の私ばっかり喋ってすいません。衣装をみなさんにご覧頂きたいと思います。ツイッターをご存知の方は、ブラック平松というアイコンを覚えていらっしゃる。本当はこれに帽子をかぶってサンブラスをしてきたかった。それほど、今の政治状況を正面切って1から10まで話すのに、2時間で話せる訳はない。そうじゃない。脱グローバル論既にお読みいただいた方にはお分かりいただけると思いますが、4回のシンポジウムを通じて、私たちは、今の日本にか欠けているもは何か。あるいは、日本の若い人たちでこういう人もいるんだ、そしてこれからの治平生きていく上で何が必要なのかを、一緒に探しませんかという形で、展開できたシンポジウム。後ほど、読者としてお読みいただいた釈先生からもお話を伺いますけれども、私はこれに携わった人間として、あとがきにも書かせていただきましたが、ずっと振り返ってみると、これほど、今の日本が抱える問題点を幅広く、浅くかもしれませんが本質を幅広く突いた本はないんではないかと自負しておりますが、いかがでございましょうか。(拍手)
今の間は、アナウンサーとして拍手を強制する間でございます。(笑)拍手をして頂いた方は、もうお読みいただいた方が、割と大きめの拍手。読んでへんけど拍手せなしゃーないなーという方が小さな拍手だったんではないかなーと思います。まあそんな失礼な、今日は自由に、積極的に、今の問題点をさることながら、これからの出口、どこにあるんだろうと言う話に進めていきたいと思いますし、ブラック平松というからには、普段言えないことを言うんではないかというご期待をされているかとあるかもしれませんが、そこまで野蛮な人間ではございません。このように、タイガースのマークが入っているシャツを着て来ています。(笑)言うことでよろしくお願いします。

という、柔らかい入り方から入ってしまいまして、最初におしゃべりを頂くのはやはり、内田樹さんからお願いしたいと思いますが、脱グローバル論、本になった脱グローバル論の感想をご覧になった感想を軽く、はじめに素晴らしい文章をお書きいただいていますが、ずいぶん苦労されたんじゃないかなーと思うんですが。いかがでございましょう。


(内田)
ありとあらゆる機会に同じようなことを語っているので、特段どうかということはあれなんですけれども、ただ、まえがきに書いたことの中で、大事な部分て言うのがあるんですけれども、やっぱり4回にわたるシンポジウムの記録な訳ですけれども、4回もやっている期間の間て言うのは、ちょうど僕らがやっているような、ある種の運動な訳なんですけれども、最も逆風の強い時期にやっていたということですね。本当に、こういう場所でやっている時には割とフレンドリーな聴衆の方に恵まれてはいたし、東京でやった時にもずいぶんたくさん人が集まって頂いたんですけれども、メディアからは全く黙殺されていたということで、蕩々たるグローバル化の進行を、そして国民国家という、従来的な政治単位が溶解していくという、かなり歴史的に危機的な局面に立ち至っているという実感は僕はあったんですけれども、それに対する危機感の共有されていない。危機感があると言うことと、危機感が共有されていないって言うことについての危機感っていうのは、ちょっとレベルが違う危機感なんですけれど、特に、どうしてみんな平気でいられるんだろう。こんなに足下が崩れかけているのに普通の顔をして生活しているというそのことの恐怖について強く感じていた期間でありまして、とにかくその本を通じて、やっぱり発信しようとしていたというのは、地滑り的に僕らが見ている世界の足下のしたの方が、どーっと地崩れをはじめている。でも、表面はそんなに動いていない。でも地崩れは始まっていて、表面の人たちはにこやかに昨日と同じ踊りを踊っているという感じがして、そのことについての恐怖感を持った人間達が、これから破局的な時代が来ますよーということを叫んでいる。狼少年っていますよね。狼が来るぞーっと言って誰も相手にしてもらえない。誰にも相手にしてもらえなかった狼少年の絶叫の記録という感じがいたしまして、資料的な価値があるのではないかなと思いました。


(平松)
内田先生でございました。悪戦の記録。悪い戦いですね。この言葉に、はじめにお書きになっているこの言葉を選んだ時に、私たちが去年の7月から始まったシンポジウムなんですが、東京・大阪・神戸と4回のシンポジウムは悪戦だったと。でも、私個人的には非常に楽しい悪戦をさせて頂いたと思います。その楽しさを多くの人に分かって頂きたい。そして、それを本にするというご協力を頂いた講談社にも感謝を申し上げます。

さあ、同じ形で、中島さんいかがでしょうか。

(中島)
どうもこんにちは中島です。僕は今北海道大学なんですけれども、生まれ・育ち30歳までは大阪だったもんですから、しかも僕北区内なんですね。生まれ育ちが。ですので、天六はうろちょろしていたところなんでこんなところでお話しさせて頂くのが光栄に思っています。しかもこんなラインナップでですね。最近髪の毛を切ったんですけれども、大体壇上に上がると一番髪の毛短いんですけども、今日はあのー(笑)違うなーと今日はそんな感じがしました。

この期間なんですけれども、悪戦って僕ずっと続いてると思うんですね。僕たちは全くマジョリティではありません。例えば、次の参議委員選挙というのが近づいています。しかし、今この我々が描いたビジョンというのが、果たしてひとつの争点になっているのかていうと、僕は全くなっていないんだと思うんですね。僕は2年前のもうそろそろ2年になりますけれども、ダブル選挙の前に初めて平松さんとお会いしました。これも本の中に入っていますので読んで下さればと思いますが、少しかぶりますけれど、僕は平松さんを応援をしました。何故応援したのかというと、僕は橋下さんからバカ学者と言われたし、テレビで二回やり合ったもんですから、いろんな玉が飛んできました。なんていうのかな、多分これ警察に持って行くと犯罪と認定されるだろうなあというものもたくさん私の元には届きました。そういう中でですね平松さんの方が正しいとずっと意思を変えずに申し上げたのは、何も橋下さんが嫌いだからとかそういうわけじゃないんです。ビジョンの違いというものをあの選挙の争点にしたかったんですね。しかし、2年前のダブル選挙は橋下YesNoという選挙になってしまいました。僕は今でも悔やんでいます。力不足だったと思っています。どういうことなのかというと、やはり橋下さんが描いたというビジョンというのは、いわゆるグローバル人材を育て、そして、一定程度自己責任というものを考え、リスクっていうのは、社会がとるんじゃなくて個人でそれぞれ取って下さいね。って言う自己責任社会ですね。小さな政府と言っていくというのもいいかもしれません。ずっと続いて来た20年くらい続いて来た新自由主義って言われる流れの延長上にある。そういう世界観ていうものがあるだろうとおもいます。そしてそれは、現在は例えばアベノミクスであると言われるような阿部政権の中にも、僕は非常に強く残存していく残っているという考え方だろうとおもいます。

一方平松さんの出しておられたビジョンというのはだいぶ違いました。どういうことかというと、経済成長はもしかしたら難しいかもしれない、ま、結果的に経済成長すればいいけれども、それは人口減少社会の中で難しい。とするならば、そういうのような経済成長がなくったって僕たちが生きていけるような、みんなが生き生きと生きていけるようなそういう社会モデルって言うものをどういうようにすれば作れるのか、っていうのが、平松さんの問題の立て方でした。だから、ウィズとか、一緒にやりましょ。難しい社会学的な言い方をするとソーシャルインクルージョン社会的包摂。人々が居場所があったり、ちゃんと出番があったり、あんまりたくさんの稼ぎがないかもれないけども、しかし、それぞれがトポスと言っていますが、自分が生きられる場所というものを持っていること。承認されている自分がいないとこの社会が動かないんじゃないのか。って、思えるような自分の居場所があるよなそういう空間があるような社会ですね。人々がそういうようにつながり合い、それが、官と民を繋いでいくような新しい社会モデル(ソーシャルインクルージョンモデル)って言うのを、平松さんは立てていらっしゃいました。僕、これ大きな分岐点だと思ったんです。で、まだ分岐点だと思っています。で、このグローバル化・自己責任の道を一直線に歩んでいくのか、それとは違うオルタナティブな社会っていうのを我々は考えていくべきなのか。それの勝負だと思ったんですが、やはり、世論の大きな波っていうのは橋下さんのキャラクターに対する信任か不信任かという話になってしまいました。
で、まだ僕は時間が残されてると思います。もう僅かです TPPにも進んでしまうでしょう。で、これ最後の機会ですよね。参議院議員選挙は。しかしまだ参議院議員選挙はこういう論点というのか大きなビジョンの戦いになっていないんですね。民主党もだらしないと思います。で、アベノミクスあるいは維新の会が出しているものと違う社会になるって言うのを問うていかないんじゃないのか。それの大きな発信となる本に、この脱グローバル論がなってくれたらなーとという風に、僕は考えています。


(平松)
ありがとうございます。中島岳志さんでした
この本の帯の背表紙の帯の部分なんですが、投票する前にもう一回考えてみませんか?って書いてます。これを読んだら答えが出るかと、出ません。出ないんです。そんなもんは出ないというけれども、人は金のためだけに生きてる訳ではないとかですね、こういう、全体を見て、本のタイトルや帯に考えて頂いたのが小田島隆さんです。小田島さんがこういう風に書いたらいいん違うかというのをちりばめてくれています。

中島さんが最初におっしゃったのは、この本の20ページにキックオフイベントの下りがございまして、ポストグローバル社会とニッポンの未来という、かっこいいタイトルをつけたものの、実は本当は、あの人にバカと呼ばれた仲間達と(笑)言うタイトルでシンポジウムをやりたいねーって言ったいきさつを書いております。内田先生にそれを相談しましたら、それでは内向きすぎるしこれからもっと大きい視点が必要なんだからということで、ポストグローバル社会とニッポンの未来という風になった訳です。あの人にってこだわっていると、いつまで経ってもあの人の範疇からは出られないです。もうええやん。もうあの人置いとこ。で、ここで集まって正しいことを考えて正しいことを発信していく仲間を増やそうやというのが私たちの思いでございます。

今回このシンポジウムをやるにあたりまして、ゲラが上がってまいります。もうお一方、誰にお願いしようかなーということで、実は、私と釈先生との出会いは大阪市長をやっておりました時に、中之島大学のキックオフイベントで、初めてお会いしました。それが本になっているのがおせっかい教育論という本でございます。内田先生とも、そのとき初めてお会いしまして、釈先生とも初めてお会いし、もうお一方が、阪大の総長をやっておられた、鷲田清和さん。今は大谷大学の教授をやっておられます。哲学者です。この4人で教育論を、まあ楽しく語らせて頂いたのがきっかけでございまして。で、釈徹宗さんにおねがいしようやないかということで、ゲラを先に送らせて頂いてお読みいただきました、釈先生から一言お願いしたいと思います。


(釈)
ありがとうございます。今そのゲラを持ってるんですけど、ゲラは持ってるけどまだ本は買ってないんですすいません。(笑)今日買います。

この本読んでですねーここ10年くらいで、本格的に始まった近代成熟期。今の我々のマインドセットの立て方とか問いの立て方が、すごく身の丈レベルで、手の届く範囲でたくさんちりばめられてる。そんな感じがすごくしました。
こういう下からずーっと沸き上がっていくものでないと、ダメだと思うんですよね。近代成熟期っていうのは。宗教教団に似てるんですよ。伝統仏教教団はこの現代社会よりも10年前に似たような状態になりまして、先ほど内田先生は足下が崩れているって言いましたけど、伝統仏教教団が乗ってた地域コミュニティであるとか、お葬式とかお墓のあり方って言うのが一気にこう崩れ出してですね、大きく曲がり角に入ったんですね。その時に、教団は一生懸命にいろんなコンテンツを考え出すんですよ。それ、中々よく出来てるのは出来てるんです。例えばキッズさんかとか、誰も知らないと思うんですが、これやったらどうやとか、よう考えたあるんですけど、もう上から下に下ろすって言うのが全然機能しない。その、コミュニティのあり方とか、地域のあり方とか、それぞれ全然違うのに、コンテンツ・パッケージを下ろしても全く機能しない。むしろですね。曲がり角らからこそ同時多発的に起こった、出てきはった面白いお坊さんとか、面白いお寺が、それは宗派を超えてつながり出して。そういう意味では日本の伝統仏教、すごい面白い時期に入って来ているので、ぜひ注目して頂きたいと思うんですが。。。。。
何喋ってたかわからんように(笑)

先に経験したからよくわかるんですよ。当事者でしたので。本当にこの本が言おうとしているのが私には響きました。イケダさんがやっている分かち合いのありかたとか、高木さんがやってるちっちゃな公共性の持つ場のつくりかたっていう、このスタイルなんですよね。このスタイルこそが大きな方向を生み出していく割と身をもっていますし、これからフェアとシェアっていうのがこれから我々の社会のテーマになってくると思ってるんですよ。

この場合のフェアって言うのは、各人の自由は最大限尊重されるけど、マイノリティとか弱者のために、それぞれの自由は制限されるっていうそういうフェアさ。そして、あるものをいかに分かち合うかっていうのも、この本にもしばしば出てきますが、我々の社会は完全に成熟期に、成長期はすごくすぎて成熟期に入っています。ですから、いやいやまだ成長できるっていうような、そんな風な人もいますし、それも必要なことかもしれないですけど、どう考えても1年に十何センチ背が伸びるみたいな成長期には迎えることが難しいんですよね。だから無理矢理延ばそうとしたら高い靴履くみたいな。高い靴履くということはグローバル化とかね、あるいはバブル的な金融操作で、実態は全然変わってないのに金融操作で利益を上げると、そんな感じですよね。中にはね身長ね、電車のつり革掴めるからもうええやないか。これ以上伸びんでも、それよりも、この車内の機嫌のいい車内にしようじゃないかという人とですね、いやいや伸びな気に入らん。ダンクシュートできるまで伸びるという人とですね、そんなことを考えている人とですね、別れて来た人としますと、こっちの人として勇気と実感が持てる本、そんな感じがいたしました。


(平松)
ありがとうございます。世の中にシークレットブーツを履いている人がどれだけいるのかわかりませんが、釈先生と先日お会いしてゲラを読んで頂いた感想を少しお聞きしたら、今日おっしゃって頂いたことと熱く語って頂いてすごく嬉しかたんですけれども、今お伺いしてて、いわゆる宗教界仏教界が、もう、昔通った道であると言う部分が、何か大きなヒントにならないのかなあ、、、、
(釈)そうなんですよ。ご存知の方もおられるかもしれませんが、議会制政治初めてやったんが西本願寺教団なんですよ。国会よりも先議会制やってお坊さんだけやなくてお坊さんやない人も議員としてやって、議会政治やって来たんですけど、これが早々と今の議会に先立って行き詰まってしまって、大きく今やり方変えてる最中なんですね、正に基盤が崩れたんで今までの枠組みでは機能しなくなってるからですね。ずいぶん簡単に言うと、もう少しフットワークのいいようなものにやってるんですけど、だんだん肥大化していったもんですから。ちょっと先例みたいな目で見て頂いたら何かヒントになるんじゃないかなという気がしてるんですけど。
(平松)それはまた今後研究をさせて頂きたいなあと言う風に思います。どういう形で西本願寺さんが最初に議会を開かれたのか、あるいは、それがどのような形でいわゆる熟れて落ちてしまったのか。あんまり具体的に言うと釈先生に差し障りが出るかもしれんので、(笑)また、裏でお伺いしたいなと思います。

内田先生もう一度帰りますけど、この間、私自身は1年半、市民として暮らしながら、行政のありようというのがどうなんだろう特に、行政というのはいろんなレベルがあって、国の政治、これは去年の暮れの衆院選、この7月21日に予定されている参院選。その一方で私のやらせて頂いていた地方自治。いちばん市民に近い行政のあり方。その間には様々なグラデーションがあって当たり前や。でも、一番市民に近いところが大きい声を出してこそ、はじめて国の大きな方針も変わっていくだろうと言う場がね積み重ねが、この間一気に崩れようとしています。と、感じてるんですね。
で、それに果たしている役割の大きな部分を私も出身なんですけど、メディアが背負っているのではないかという気がしてならないんですが。そのようなあたりについていかがでしょうか

(内田)
今の質問のお答えに入る前に、ちょっと経済成長の話をされたこれに関して基本的な了解をしておきたいんですね。これ、この本の中で平川君が繰り返し言っていますけれども、経済成長ってもうしないんですね。

あ り 得 な い ん で す よ 。

2012年の世界の経済成長率のランキングをご覧になってもわかるんですが、経済成長世界1位ってご存知ですか?成長率104%。これがリビアなんです。カダフィのリビアが2012年成長率104%1位。2位がどこか、2位がシェラレオーネ。シェラレオーネっていうところはずーっと内戦が続いていて、平均寿命が世界最低の国なんです。これが第2位。第3位モンゴル。4位がニジェール。そういうところがずっと並んでいるんです。僕らが国の名前も知らないところがずーっと上位を占めていて、日本は119位なんです。で、一個上に韓国なんです。他の国もそうなんです。ブラジルとかロシアとか中国ありましたけど、中国がかろうじて18位です。でももう失速してるんです。アメリカだって日本のちょっと上くらいなんです。ヨーロッパは全部日本より下で0%(より下)。要するに、成熟した国って言うのは経済成長しないって言うのが前提なんです。で、どんどん(経済成長率は)下がっていくんです。上に来るのは、申し訳ないんだけど、戦争やってる国だとか革命があった国とか、基本的には社会的なインフラが整備されていなくて、これから何となく国家が整備されていって、人々が、マーケットが出来て、市場が安定していって、通貨が流通していって人が物を買ったりする。それから中産階級が形成される国では経済成長があるでしょうけれども、それ以外のところでは経済成長はないんですね。もう逆立ちしても無理なんですね。そういうところで成長戦略というのを見たらね、さっきの背が伸びて、、、もう絶対に背が伸びない。これから老人が増えていくだけで、しばらくすると65歳以上が25%になるわけですからね。そんな国に成長を期待しても無理な訳で、我々がしなきゃいけないことは、今ある手持ちの資源を、特に日本の場合って言うのは資源。アセットと言いますけれど、自分たちが使える資源で、自然資源であっても、気象であっても、地勢学的地理であっても、元々我々の持ってるストックの厚みがありますよね。よく「安全と水はただ」って言いますよね。これ平川君が言ってましたけど、水と安全がただって言うのは、GDPにすごくマイナスなんですよね。もし水が安全じゃなかったらみんなミネラルウォーター買う訳です。だから、それによってマーケットがどかんと爆発するし、セキュリティが担保されていなければ、みんなとにかく一生懸命ですね、自分の家のセキュリティを固めるために、SECOMに入ったり、高い塀を作ったり、私兵を雇ったり、警備会社に高額の投資をしたりすることによって、つまり、安全がなければそこで多くの消費行動が行われて経済活動が上向きになるんですよ。社会の経済成長って言うことと、社会的な安定市民生活の安寧っていうことは、実は相関しないんです。本当に。
シェラレオーネが2位、リビアが1位って言うことから分かると思うんですよ。経済成長って言うのは、そこに住んでいる国民の幸福、民の安寧と公共の福祉と、基本的に無関係なんです。あたかも経済成長イコール国民の幸福であるかのような現実というのは「嘘」なんですよね。

い い 加 減 に そ の こ と に 気 が つ け よ ! 

アベノミクスなんて本当に意味のないことなんですよ。ただの博打ですからね。株の売り買いなんて言うのはね。玄人しかやっていなかったんですよ。だけど渋くなっちゃうんですよ。相場が。大儲けも大損もしないので、とにかく何とかして素人を土場に読んできたいという事で、素人さんがやっても儲かりますよって言うことを(不明瞭ですすいません)   。そうすると、愚かな素人がですね、定期預金を解約してね、賭場に来る訳なんですよ。で、ちょっとひと月ふた月やって儲かったってね。今みんな、素人の投資家が青くなっていると思うと、ほとんど全員損したと思うんですけどね。この数週間くらいに。で、アレは実体経済と何の関係もないですからね。株の乱高下なんて。どうしてそういう目くらましの経済指標なんかに目がいっちゃうのかなんです。
さっき話していましたけど、実際には我々が使っている経済指標の数値みたいなものと全く、それと捉えることが出来ないところで経済活動が行われているわけですよね。サイズの小さいフェアとシェア 小さいコミュニティの中での情報のやり取りとかですね、物々交換とかものすごく今進んでいる訳ですよね。その、イケダハヤト君みたいに、貨幣は持っていないけど、スキルとか知識とかネットワークは持っている。で、欲しいものとしては洗濯機が欲しいというと、ツイッターに書き込むと彼のフォロワーから家にあるから運送代4000円でいいとかですね。これってほとんど物々交換な訳なんですよ、そういうようなネットワーク、きちんとしたネットワークを持っていて相互的な顔の見える関係で信頼でつながっている人たちって、もう貨幣を媒介にして経済活動してないわけですよね。価値のある家財と自分の持っている知識や情報ネットワークとかですね、そういうものとの交換とかですね。立派な経済活動なんですけど、現在財務省とか経済企画庁とかが使っている経済指標には全く出て来ないんですね。それは0なんですよ。活動としては。何もしてない。でも、実は非常にクオリティの高い経済活動が行われているんだけれども、それは指標としては出て来ないので、日本人はどんどんどんどん消費行動が低迷していて、社会は閉塞化に満ちている。その数字しか見ていないんじゃなくて、実際に若い人たちって言うのは十分な貨幣を持っていないので、脱貨幣、脱市場という形で新しい経済活動を探しはじめているんですね。そういう大きな流れがある時に、古めかしい経済成長とかグローバル人材とかが、まだ語られている。この新しいトレンドをですね、まだまだこれ、自分の言葉にできていないし、特にそのメディアですよね。メディアが新しい動きが起きている。例えば小さなコミュニティが同時多発的に起きていて、そこに全く新しい前代未聞の様々な物事を、メディアが全く報道できていない。これは規制しているんじゃなくて、メディアのグリッドにかかって来ないんですよ。彼らの持っている価値判断の基準というかですねニーズかニーズじゃないかという時の、使っている彼らの持っているネットワークの網にかかって来ないんですよ。で、全く報道されない。で、これね、この情報の二元化って言うのは非常に問題があるんですよ。実際には非常に大きな変化が訪れているんだけれども、その変化についての啓示的な報道がなされていないことについて、多くの人は、ある日、突然、巨大な、臨界点を超えてどんと変わった時に、肝をつぶすんですね。僕本当によくないことだと思うんですよ。

(平松)
あのー、マスコミにいた人間としましてね、今の情報番組がどういう形で作られているか言う部分にも影響が、かなり影響しているんじゃないかなーと思うのは、昔はニュース番組を作るって言う場合はかなりの競争を抜けて来たメディアに正規で入って来た社員がそれなりの責任をしっかりと受けた上で、教育を受けた上で責任のある原稿を書くんです。それが人件費をどんどんどんどん切らなきゃいけないという、これは放送局も同じで新自由主義そういう価値観がどんどん変わっていく中で、外注が増えていくんですね外注が増えてその人たちが素晴らしい仕事をするケースもあるしその外部のプロダクションの人がドロップアウトして素晴らしい会社を作ったケースもあるんですが、特に情報の取り方という最初の段階で、ひとつの外注する会社があって、そこに言うときゃいい情報をすぐに料理できる情報をくれるよっていうのがいくつも出来る。いくつも出来て中には面白いものを連発するところがあるとそこへ全部集中する。A局もB局もC局もそこへ外注する。って言うような形になって、情報番組が作られている。ですから、最近テレビのチャンネル回すと言いませんが、ボタンを押してると、同じ人が同じようなセット、最近思いません?どのセット見ても同じような色合いであるんだけれど、横に、マークが出ていないと、何チャンネルを見てるかわからない。昔はチャンネルでしたから、この角度が4チャンネルやなーいうて、そういう部分での違い、作る側のクオリティも下がりつつあるし、それは全体の市民レベルを、やっぱり地球主義なり単に競争社会だという形で点数だけ取っていればいいねん。というものが学者の中にもマスコミの中にもあらゆるところで何十年かかって浸透して来てます。もうあれは1970年代に入ったら、そういうのが出て来る訳ですよね。当然。そうすると70年代だと40年。私は20いくつの頃からそういう空気に慣らされてしまってます。どっか、ふと気がつけば、おい、わしの足下ないでって言うような世界にならないためには気づいた人間がそれをこう広めて行くって言うのが大事やって言う話になるんやと思います。

ほっといたら僕ひとりで1時間喋ってしまいますんで、中島さんその上でどうでしょう?

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無茶苦茶途中なんですけど、今日はここまで。後編は多分来週くらいになるんじゃないかな