大阪の話題とかそんなん

泉北高速鉄道の出来た経緯をお話ししよう

泉北高速鉄道。あまりメジャーな鉄道会社ではないためか、この鉄道がどのように設立されたのかみなさんよくわかっていないようなので、この際なので、まとめてみました。
なお、これはついったーで連投したものを加筆・修正してお届けいたしますです。

是非、ついったーで @namihayanote をよろしくお願いいたします


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1)日本の住宅問題は最悪であった

日本は、太平洋戦争で都市の大半は焦土化してしまって、それ以来、住宅問題は長年の懸案事項でした。日本の木造の住宅は空襲で大変が焼け、住宅がそもそもなくなってしまったにもかかわらず、戦後に戦地から大量の引揚者が帰って来たのだ。これは痛い。
家を建てる資材もお金もないので、バラック住まいというのが終戦直後の日常。古い団塊の世代はそういう幼少期を過ごして来たのだ。

しかし、朝鮮動乱で日本の景気が突如として沸き上がり、日本の高度経済成長期がやってきた。ただ、相変わらず国内の住宅問題は改善されず、それどころか、復興した都市に大量の労働者がやって来たために、住宅はさらに逼迫するという状況。日本の危急を要する懸案事項となった。「もはや戦後ではない」と、経済白書は書いたけど、住宅の不足は目に余るものだった。



2)覚悟の大規模団地供給

そのために、大規模な住宅を建設するよう、行政側もない袖をふりながら明け暮れる日々が続く。大阪も、昭和30年代前半から、住宅供給公社らが中心となって香里団地ほか多数のニュータウンが建設されていった。
大阪府でも、大規模ニュータウンを建設しようと数カ所の場所を検討していきます。

そして、昭和35年には池田内閣が成立。10年で1000万戸の住宅建設を公約する大盤振る舞い。時の総理大臣がこういう公約を掲げると言うことは、この時期でも住宅はまだまだ足らないってことがわかると思います。
これに合わせるように、大阪府も府内で80万戸の住宅を建設するプロジェクトを計画するようになります。まずは大阪市中心部に近く、国土の大動脈となるであろう「名神高速道路」にも近い千里丘陵に大規模団地が建設決定します。後の千里ニュータウンですな。
その1年後、少し遅れて泉北地区の大規模団地「泉北ニュータウン」の建設が決定されます。昭和36年のことでした。

3)時間がない!!

あまりにも規模が大きく(広さは千里ニュータウンよりも大きかった(はず))、域内の交通輸送がバスでは足らないことは明らか。また、どの鉄道からも距離が遠いので、何らかの鉄軌道の輸送機関が必要になったわけ。で、大阪府はどうしたか……建設省の外郭団体に調査研究を依頼した。
その帰って来た報告書の中に、6つの案があったが、最も望ましいのが

大阪市営地下鉄1号線(御堂筋線、このころはまだ愛称はついていなかった)の延伸が最も望ましい。(泉北地区開発の基本計画調査研究より)

という報告書が上がって来た。これに基づいて、府は大阪市に相談しに行った。

府:「今度、泉北のだだっぴろい土地を開発してニュータウン作りますねん。で、おたくの地下鉄1号線、中百舌鳥まで延長する計画おますねんな。まー、車庫用地も足らへんらしいですなあ。中百舌鳥から先、うちとこの泉北ニュータウンに鉄道通してもろたら、車庫用地はいくらでも融通しますけどなあ。(〃ノω゚)ゝチラッ…」
市:「いや、車庫用地は戦前に先行取得しとった我孫子に車両工場を作ったんで、今のところは大丈夫ですわ。。。。。。。。てかねー!大阪万博の開催が決まりましてんで!こっちは市内に40キロもの地下鉄掘らなあきませんねん!そんなことより、万博までの江坂から先!はよ何とかしてくなはれ!」

そうです。大阪市は、昭和39年の万博開催を決定を機に、市内のインフラ整備を最優先で行っていた。御堂筋線の車庫も、我孫子検車場建設で一応解決済み。しかも、泉北ニュータウンへ地下鉄を通すとなると、まず、中百舌鳥までの通さないといけないが、、、、、その道すら完成していなかった。逆に大阪市は、府に江坂から先の事業者選定をせかされる始末、、、

市:「泉北ニュータウンへ地下鉄を通すのなら、まずは中百舌鳥までの道路を作ってください。ちなみに、中百舌鳥までの開通は 「 1 0 年 く ら い 先 に な り ま す か ら 」」
府:「Σ(゚Д゚;)エーッ!」

ニュータウンの用地買収は昭和39年に合意がまとまり、即建設が始まると、2〜3年後には入居が始まる。鉄道が開通するのを10年も待っていられなかった。そして、10年待ってもやっと中百舌鳥までである。
何度か話し合いを持つものの、さらに事態は悪化していく。

市:「いや、1号線は梅田−天王寺間で線路容量が飽和状態で、さらなる延伸は無理と判断いたしました。」
府:「Σ('ω'*)え?それはどういうことでっか?」
市:「もう客がいっぱいで市外に延ばされへんねん!」
府:「ガ━━Σ(゚Д゚ ;)━━ン!」

御堂筋線は、大阪のメインターミナルを結ぶ路線。長大8両編成で、2分半間隔の運行でも乗客をさばききれなくなっていた。これ以上乗客が増えるとなると、大規模な設備投資をする必要がある。万博を目前に控えて新たな設備投資は無謀であった。
これはまずいということで、1号線(御堂筋線)の延伸はあきらめ、報告書の2番目の案である「阪和線上野芝分岐案」を、国鉄に相談してみた。

府:「今度、泉北のだだっぴろい土地を開発してニュータウン作りますねん。で、阪和線の上野芝から泉北1号線言う道路作りますから、その真ん中に国鉄通してもらえへんやろか?(; ^ω^)」
国:「阪和線から分岐!?あかん!阪和線紀勢本線のメインルートやで。急行・特急はおろか、貨物も頻繁に走っとんのや。貨物は65km/hしか出されへんから線路容量がいっぱいやねん。しかも、地域の交通問題はウチらの仕事ちゃう。よそ当たっとくれ!」
府:「いや、複々線案というのがおますやろ?それを作ってもらえたら大丈夫でっしゃろ?何とかお願いしますわ。(*>_<)オネガイッ!」
国:「大蔵省に言うてくれ。ただ、新幹線の建設費問題で、あの頭固い大蔵省が首をタテには振らんやろうなー。」
府:「(゚Д゚ )(絶句)」

当時の国鉄は、幹線を担当するという意識が強かった時代、阪和線は和歌山へ向かう直通旅客・貨物を一手に引き受けていた。(南海も一部の急行列車を担当していたけど)複々線案も計画としてはあったものの、優先順位は低いため検討されたこともなかった。それよりも、この時期に起こった新幹線の建設費の大幅にオーバー問題。これが原因で、国鉄は総裁が辞任するという政治的な問題があった。また、国鉄は地域開発に特化する鉄道は引けない(東京はどうなんだという話はまた別ね)ことを理由に、断固拒否。( ゚∀゚ω=====ヽ(´Д`;)イラネエヨ!!
ここでも暗礁に乗り上げます……


4)焦る大阪府

そうこうしているうちに、大阪府の住宅建設マスタープランが完成した。
しかし、肝心の鉄道がどのルートを通って来るのかわからない。鉄道・道路と一体化して建設費を圧縮するという方針に沿って道路計画を決定していたので、このままでは計画の実行が出来ないという状態になって来た。

府道路課(道路買収&設計担当者):「あのー、早う鉄道をどっから引っ張って来るんか決めてもらえへん?泉北1号線の設計も用地買収も進まへんねんけど。」
府企業局(鉄道事業者を決める部署):「えー、事業者の選定、並びに線路建設に関しましてのご質問でありますが、現在各種方面との協議中でございまして、色々ある案のメリット・デメリットを確認しておるところでございます。目下前向きに検討しておる状態でございまして、まーなんですなー、昭和36年の泉北地区大規模住宅建設にかかる事業計画を勘案して鉄道事業者を決めると言うことでございますが、早期に……」
府道路課:「そんな役所の答弁聞きたないねん。早よしてえや!(# ゚Д゚)プンスコ!!」

泉北ニュータウンのマスタープランが昭和39年に完成しているのに、まだ鉄道がどの地点から地区にやって来るのかわからないままの状態でした。マスタープランを見ても、泉ヶ丘から北の深井までの間で、地図は切れていた。泉北1号線(道路)のスタート地点は上野芝からのはずなのに……

府道路課員:「このままじゃ泉北1号線の道路幅が決まらないんですけど。」
府道路課課長:「まずは、設計の終わった地区から建設に取りかかろう。とりあえず、道路は泉北2号線から先に作る。この道路の起点は国鉄津久野駅の近所だ。ここには駅前ロータリーが整備されているから、ここからバスで地区を結ぼう。大丈夫だ。問題ない(`・ω・´+) キリッ 南海バスには話はつけてある。」
府道路課員:「でも、津久野は言うほど広くないですよ。もし、鉄道が決まらなければどうするんですか?」
府道路課課長:「大丈夫。問題ない(`・ω・´+) キリッ おそらく、鉄道は上野芝か中百舌鳥かどちらかから来るはずだ。6つある計画案のうち、5番目、6番目のはまずない。5番目の5号線(千日前線な)の建設案は、1号線の延伸ですら決まらないのに、未だに建設中の5号線(昭和42年にやっと野田阪神−桜川間が開通する)など来るはずがない。6番目の近鉄南大阪線の分岐案など、営業エリアとかぶる南海が首を縦に振るはずがない。」
府道路課員:「じゃあ、どちらで設計するんですか?上野芝ですか?中百舌鳥ですか?」
府道路課課長:「どっちでもいいようにしておけ。」
府道路課員:「Σ('◇'*)エェッ!?そんな無駄な予算使っていいんですか?」
府道路課課長:「無駄ではないんよ。しかし、泉北1号線はゆとりを持って設計しておいてくれよ。もし、鉄道があそこに通らなくても、阪神高速泉北線用地として使うから。」
だから、と言う訳ではないんですが、中百舌鳥−深井間と、上野芝−深井間は明らかに上野芝(泉北1号線)の方がかなり広いですよね。あれは中央に鉄道用地(国鉄の)として計画されていたからなのです。まあ、未成線といえば未成線ですけどね。鉄道が来なくても、阪和線の上を通る阪神高速泉北線の計画(結局、計画は潰れちゃいましたが)があるので、その道路を泉北地区に延伸させるような計画も持っていたようです。なお、中百舌鳥の方は、鉄道用地はあくまで必要最低限しかありません。これはこういう計画だったからこその副産物と言えるでしょう。
あと、泉北1号線にモノレールとかいう案もあったようですが、資料にはそういう記述を見つけられませんでした。当時はモノレールは方式が色々あったようですし、姫路市営モノレールのような「悲惨な例」もありますから、手を出さなかったのは賢明でしょう。この案は、その後の中央環状線の上を走る「大阪モノレール」に続いていくのでしょうか?



5)南海との「ゼニ」の攻防戦

マスタープランは完成、用地買収も妥結し、住宅やインフラが次々に着工されても、鉄道事業者だけは決まらなかった。
そして、大阪府は最終手段、報告書の3番目のプラン、南海に泣きついた。

府:「泉北のだだっぴろい(略)」
南海:「なんか、儲からなさそうなんで……嫌」
府:「 ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!」

実は、南海はその時そんなにお金持ちじゃなかった。(今もそうかも(ぉぃ)。自社の土地開発で精一杯、新型車両は買えても、設備の貧弱さ、つまり輸送力を増強しないと乗客を捌ききれないという事情があったようで、巨大なニュータウン建設にしり込みしていたというのが現状のようです。しかし、大阪府はもうあとがなかった。報告書の6案のうち、現実的なものは4番目までで、3番目の高野線分岐案は、その中でも最後の切り札だったのだ。(ちなみに、4番目は南海本線と3号線(四つ橋線)の分岐・延長案。架線方式狭軌と、第三軌条方式標準軌の電車をどうやって一緒に乗り入れさすんだろうねw)

府:「お願いです!もう南海さんしか頼めるところがないんです!」
南海:「いや、そう言われても、ウチ、お金ないんですわ。大阪府さんが低利融資とかしてくれたら考えてもええねんけど。」
府:「ああ、特定の民間企業に肩入れすんのんはちょっと無理ですわ。(ヾノ・ω・`) ムリムリ」
南海:「それやったらやっぱり無理ですわ。ほなさいなら。」
府:「( ゚д゚ )!あああああああああ!!!!!!!わかりました!何とか国に話し合ってみますから。詳しく話を聞かせて下さい!」

南海の言い分はこうだ。
南海は戦災復興をうまく乗り越えられず、設備投資が遅れている。そこに振って湧いたようなニュータウン建設はまたとないチャンスではあったが、そもそも鉄道の建設費用はとてつもない金が必要になる。しかも、開通してからすぐには輸送量が伸びない。ニュータウン内にまだ充分な旅客がいないためだ。このために、建設費すら返せなくなって早々に債務超過になるのは目に見えている。そもそも、土地や建設費も相当に高騰しているので、一民間企業での設備投資は無理と判断している。と言うことだ。

府:「……ですよねー。」
南海:「高野線も、ようやく新しいステンレスの20m型の車両を4両編成で作ったところでっせ。想定人口18万人のニュータウンが出来たら4両編成では絶対足りませんやん。あと、1500V化も、もうそろそろやらなあきませんねん。」
府:「1500V?何でっか?それ?」
南海も、他の在阪鉄道会社と同じく架線電圧は600Vだった。しかし、この容量では大量の列車を走らすことは難しく、1編成も短いものしか走らせられない。1500V化は鉄道会社では頭の痛い大きな投資であった。阪急も阪神近鉄もこれには悩まされていた。特に、近鉄奈良線生駒山トンネルが小さく、小型車両しか走れないためにラッシュの混雑は酷い有様だった。

南海:「昭和32年から導入した車両は昇圧対応の準備ができてるんやけど、それ以前の車両は改造工事が難しいから、昇圧予定の昭和48年で全廃する予定ですねん。そのために今新車を無茶苦茶入れてますねん。その後、1編成の長さが延ばせますんで、ホームの延長工事も順次やってます。特に、急行や準急止まる駅からやっていってるんですが、中々追っ付きません。肝心の変電所の設備。これ、全て新品と取り替えやからすごい金かかるんですよ。トロリー線(き電線)や碍子とか、全ての電線や部品は1500V対応のものに交換ですわ。どれくらいの設備投資になるか想像もできまへん。電線なんか何百キロ単位で購入ですよ。」
府:「アワワ ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿 アワワ」
南海:「それから、この前から立て続けに重大事故をして、運輸省から大目玉食らいましてな。謹慎処分中みたいなもんやから、表立ったことも出来ませんねん。」
府:「( ´△`)アァ-」
南海:「と、いうわけで、新線建設は私らお金出せませんので、ニュータウン内の新線は大阪府が責任を持って作ってください。私らは、なんばまでの各駅のホーム延長、大型車両入線をなんとか可能にしときますから、府の車両をなんばまで乗り入れさせてください。」
府:「…………はい……(´・ω・`)ショボーン」

大阪府はもうこの案を呑むしかなかった。これを聞き入れないと完全に「詰む」からだ。

6)見事な「丸投げ」で大勝利!

その後、府はどうしたか。実は、この頃に自身の千里丘陵で行った実績のある「北大阪急行」や、神戸の市街地のターミナルがバラバラだったのをひとつの鉄道会社を作って見事につなげた「神戸高速鉄道」などの実績を例に、新しい鉄道会社を作ることを計画した。しかし、府には鉄道の知識など全くなく、完全にお手上げ状態だった。

府企業局:「どないしよ。鉄道会社作りますとか言うてもうても、そんな知識どこにもあらへん。(´・ω・`)どっかにやれる部署ないかなー……Σ(`・д・´)あ!あそこや!あそこやったら何とかしよるわ!」

「リーンリーン……ガチャ」
大阪府都市開発:「あー、もしもし、大阪府都市開発ですが。」
府企業局:「(*ゝω・*)ノ コンニチワァ☆.: *:・大阪府企業局でーす!」
大阪府都市開発:「あ、いつもお世話になってお……」
府企業局:「早速だけど、今度、泉北ニュータウン内の鉄道を府が任されちゃったから、あんたんところで経営してちょうだい。いいわね。じゃあまたね!('ヮ^*)ノ゙フリフリ.:゚+  ガチャ、ツーツーツー」
大阪府都市開発:「…………え?……」

大阪府は、自ら作った企業(今で言うところの第三セクター)「大阪府都市開発」に、ニュータウン鉄道の運営をさせようと思いついた。この「大阪府都市開発」は、物流事業を推進する企業として設立しており、東大阪トラックターミナルの建設の真っ最中であった。ここは、官民で共同出資しただけあり、関西電力大阪ガス三和銀行大和銀行住友銀行という、インフラと在阪都市銀行が株主に名を連ねていた。ここから「民」の力を利用して、鉄道経営をサポートしてくれる体制を整え、昭和43年10月に、正式に大阪府都市開発が鉄道経営を行うように決定する。

府:「ウチが今度ニュータウン内の鉄道をやることになりましたんや。何かノウハウとか教えてもらわれへんやろか。」
市:「あー、地下鉄の設計も落ち着いたことやし、技術的なノウハウやったら人くらいは出せまっせ。」
府:「南海に電車乗り入れさすんやったら、規格は同じやなかったらあかんですやろ?それやったら電車とか駅の設計やってくれまへんか?」
南海:「まあ、それはそやね。検査とかの設備もこっちと同じやつ使こたらええねんし。それはこっちでやりますわ。」

大阪府は、大阪市交通局や南海など、協力してもらえる社局を次々と巻き込んでいき、さらに、日本開発銀行から融資を引き受けることを承諾され、また、大蔵省・運輸省建設省などからの助成制度の適用を受けるようになった。
そして、昭和44年3月。泉北高速鉄道は、中百舌鳥ー光明池間の免許を取得する。ニュータウンの町びらきから、すでに3年が経過していた。




以上です。いかがでしたでしょうか。
ついったーで連投したものを、本当に大幅加筆修正しました。

まず、最初に国に話を持って行ったと言うついったーのお話は間違いでありました。最初は御堂筋線の延伸を想定していたそうです。これは私もびっくり。どう考えても地下鉄の延伸は時間がかかると思うんですけどね。高架で考えていたんでしょうか?大阪の地下鉄は、郊外は高架で建設って言うのが原則ですからね。当初は輸送力に余力が残っているというのが報告書の言い分なのですが、それは天王寺までの想定です。しかし、天王寺から先まで電車は乗り入れするんですから、天王寺から先の輸送力の限界を考慮していない報告書って一体なんなんでしょうかね?この辺りはお役所仕事だなあって思いました。

国とのやり取り。これは本当にあったのかどうかはわかりません。どの段階、どの時期でやったのかも報告書や資料に明確に出ている訳ではないのです。しかし、ニュータウンの最寄駅として上野芝を整備するという目的があり、泉北1号線は上野芝から、そして駅前広場もニュータウン用地として取得しています。南海が協力しないと言えば、ここから泉北高速が発着していた。などと妄想も膨らみますね(*´∀`) アハッ♪

泉北高速の経営が固まればあとは順調に開業していき、昭和46年に泉ヶ丘、48年には栂(現:栂・美木多とがみきた。というか、とがっつー漢字が出て来ないぞ)、10年後の昭和53年に、当初の目的地であった光明池まで開通します。
その後各地でニュータウン鉄道が開通していきますが、中々経営がうまく行かないところが多いようですが、泉北高速は特に問題がなく運営して何よりです。

そうそう、この記事を書く前に、何故このまとめを書いたのかをブログに書いております。そちらもどうぞお読みくださいませ。
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