大阪の話題とかそんなん

木津の勘助さん

最近伝統芸能から大阪をながめてみようかと思いはじめたかいちょうです。
どうもお久しぶりです。ご無沙汰しておりました。やはり、根っからのぐうたらな性格がたたって、ブログ更新をだいぶさぼっていたようです。
まあ、出無精で引きこもりな私にとっては、すごーくハードルが高いことなんでしょうかね。

さて、「木津の勘助(きづのかんすけ)」という話をご存知でしょうか?落語・浪曲・講談など、様々な古典芸能の題材として扱われているそうです。ええ、私は知りませんでしたよ。

実在の人物で、戦国時代に相模で生まれ、豊臣秀吉の家臣として治水開発をした人だそうです。木津川の開削をして、大国町辺りのも開発もこの人が担当したという、大阪の都市の骨格を作った人ですな。まあ、市街地ではない場所ではあるものの、市中に船を出入りさすことが出来る木津川の開削は、間違いなく大阪の重要なインフラ整備に欠かすことが出来ない事業であったことでしょう。(その後、安治川が改修されて、そちらの方が便利なので重要性は落ちたかもしれません)

で、その木津勘助さん、江戸に入って冷害に見舞われた年に飢饉があり、政府の備蓄米(今で言うところの政府標準米?あれなくなったんだっけ?)の解放を訴えたけど聞き入れられず、蔵破りしてしまい大正区へ島流しに遭うという動乱の人生を歩んだ人です。すごい人ですねー。
その島流しで流れ着いた大正区(てか、すごい近いやん)、なみはやノーツ#48〜大正 の回でも、記念碑がある上八坂神社はご紹介させていただきました。(本当にさらっとですけど)

今回は、その勘助さんの銅像が立っている、大国神社周辺をぶらぶらして参りました