大阪の話題とかそんなん

旅行会社は大阪発祥なんだって Σ(゜д゜*)ヘェ!!

ハロウィンなんだけれど、最近お菓子をくれてもくれなくても悪戯されちゃう今日この頃(マテ、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは。なみはやノーツです。

本日はハロウィンという日だそうで、今日の夜は街に繰り出す若者が多くいるようです。何ということでしょう。本来はカボチャを食べて無病息災を願う日本の伝統の行事なのに。(違う)
最近の若者は何を考えて行動しているのでしょうか。(違うから)



今日は玉造の話題です。
こんなニュースが入ってまいりました。
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141027/20141027023.html
「浪花講」発祥の地 起業家精神継承へ記念碑 - 大阪日日新聞


浪花講。聞いたことがありません。今月26日(2014/10/26)玉造稲荷神社分社で、旅行会社の起源と考えられる、「浪花講」の記念碑の除幕式があったとのこと。
どういうものなのか、見に行って来ました。

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玉造稲荷神社は、大阪環状線玉造駅から北西に7~8分くらいのところにある、由緒正しい神社ですわ。上町台地の小高いところにあって、伊勢街道へ向かう暗峠の出発点となったところで有名です。(今回は、そこの分祀している方の神社のお話ですが)
私は、お伊勢さんは小学校の修学旅行で行きましたけれどね。行きはバスで帰りは近鉄でしたわw 大阪市内の小学校では、もう定番の行き先ですからね。ある意味鉄板。

まあ、今も昔も熊野詣でやお伊勢参りは定番コースとなっていたようです。ただ、昔は当然鉄道や道路が整備されていないわけで、必然的に日帰りで行けない泊まりがけの旅行になります。その分旅費もかなりかかるし、峠道は多少危険もあったようで、人々はなかなか気軽に行く事が出来ない旅行だったようです。今で言うところの、世界一周旅行の途中で、地図に載っていない街に行くレベルなのかな?よくわかんないや。私、海外に行ったのは淡路島くらいしかないし。。。。。。。ぇ
当時は泊まる宿も結構リスキーだったようで、ぼったくりはあるわ、土場が開かれてヤクザみたいな連中が常駐してるわ、暴力事件はあったりするわだったらしい。何というか、道中で崖から落ちたり、イノシシに体当たりされた方がまだ精神的にいいレベルの話ですわ。


そこで、この記念碑に書かれてある、松屋勘史郎さんと源助さんっつーひとが、「浪花講」という組合を作って、この宿は安心です。っつーのを調べて、その宿を旅行者に紹介したようなのです。で、宿には浪花講の看板を出して、宿に行くときは浪花講の札を出させて、会員である証を見せて、安心して泊まれるというシステムを考え出した。と。


(。_゜)アレ?


これって、時刻表の後ろに載っている、日本観光旅館連盟とか、JTBの協定旅館制度とほとんど変わってないじゃないですか?

つまり、旅行者は、お金を出して浪花講へ入ると鑑札(会員証みたいなもんやな)をもらえると。その鑑札を宿に出せば安心した宿泊(サービス)を提供してもらえる。宿は浪花講から宿泊客を紹介してもらってラッキー。てな感じ?
利害関係者三者が全て得をするシステムの考案をして、さらに、旅行ガイドとか、そんなものまで出していたらしい。これ、ほんまに今のJTBと何ら変わらん事してますわ。


そういうのが、ここ、大阪の玉造が発祥だと。
面白いねー。こういうことを考えるところが商人の街だったんでしょうか?
江戸時代に考案されたと言うことですから、当時のお伊勢参りは順調に旅行客が伸びていった時期。人々は、気軽に行くことが出来ないお伊勢参りのために、みんなでお金を出し合って、年に1回、その中から誰かに旅行へ行ってもらって、土産話を聞くというお講(今で言うところの『無尽』なんだけど、無尽自体がわからないよね)を作っていたりした頃。このシステムが考案されたら、もっと気軽に旅行に行けるようになったのかもね。

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なお、この記念碑があるのは玉造稲荷神社の分社の方です。長堀通りに面していて、清水谷高校の向かいにありますよ。注意しましょ