大阪の話題とかそんなん

豊中にローソンが作れなかった話、聞く?

ローソン40年、関西最古参 当初は高級スーパーを意識:朝日新聞デジタル

みんな、この桜塚のローソン作ったときに住民の反対に会って、豊中にローソンが作れなかった話、聞く?(反応多かったらブログ書く)

2015/06/17 00:01

ローソン40周年ですか、おめでとうございます。

知っている人は知っているんですが、この新聞記事にもある通り、豊中市南桜塚にある桜塚店がローソンの1号店で、今もなお現役で続けられているコンビニ店舗なんですね。栄枯激しいコンビニ業界において、同じ地に止まり続けて営業しているお店は中々優秀なのではないでしょうか。
なお、日本初と言われているコンビニ店舗は、東京・豊洲にあったセブンイレブン。これもかなり有名な話ですが、残念ながら閉店してしまい、ヤマザキデイリーストア(現:デイリーヤマザキ)になったあと全く別業態になっていると聞いています。

さて、豊中にはそんな輝かしいダイエーコンビニエンスシステムズ(当時のローソンの会社名)の歴史が輝いています。が、豊中には陰の部分もあって、くやしい地団駄を踏んでいたローソンの初期の店舗展開をそっとのぞいてみましょう。

ローソンの地団駄

昭和50年、直営店舗として桜塚店がオープンします。その数ヶ月後には同じ豊中市内にフランチャイズのローソンがオープンし、今後続々とオープンさせる予定だったのでしょう。コンビニエンスストアという新業態で、まだ産声を上げたばかりのローソン。これから全国展開をしていくんですが、これにあたり、本社のある江坂を絶対に死守するために、江坂にローソン以外のコンビニが進出すると、ローソンはその至近距離にローソンを作って、そのコンビニを全力で潰す。なんてことをやっていました。(実話です) 当時は江坂の豊津、あのダイエーのビルがある中にローソンの本社がありましたから。大阪エリアはローソンの牙城にする。そんな意気込みが伝わってくるお話です。

そんな吹田市江坂とは目と鼻の先にある豊中市ですが、ここでローソンはミスをします。(ここから先は伝聞で、確証が取れていません)
その桜塚店、まだコンビニが24時間営業が当たり前ではない頃です。そこで24時間営業にするか営業時間を拡大するか何かを店側が無断でしちゃったために、住民から反対運動を起こされてしまったのです。当時の桜塚はそこそこ閑静な住宅地。道路沿いにも、深夜に営業する店はなかったと記憶しています。そんな場所で24時間営業なんかやってしまうと、深夜の騒音問題や治安悪化を住んでる人は懸念しちゃったんですね。で、自治会(?)あたりでかなり問題になったようで、ローソンとの話し合いで、「今後、豊中市内にはローソンを出店しません」という、ローソン側には最悪な結果になっちゃったんです。(この出店規制は実話)
まだ全国展開するコンビニはなく、店を出せば儲かる時代。その時代に40万人が住むエリアに店が出せないのは相当痛かったでしょう。そんなエリアをみすみす放棄して、他のコンビニチェーンにエリアを浸食される。本当に最悪ですわ。

で、そんな豊中のコンビニ市場を瞬く間に圧巻しちゃったのはどこか。それはサンチェーンでした。

ノウハウを持たないサンチェーン

f:id:hanazukinokita:20150617122448j:plain
サンチェーン。ローソンに遅れること1年。昭和51年に1号店を出店して、関西・関東を中心として店舗展開していく手法をとりました。ウィキ見たんですけど、当初はキャバレーを社長をしていた人が、キャバレーは今後縮小していくだろうと予測してコンビニに参入したんですね。
そのサンチェーン。ローソンが出店出来ないと聞くと、瞬く間にサンチェーン豊中市内に絨毯爆撃のように新店舗をオープンさせていきました。いやあ、弱肉強食とはこのことを言うのでしょうか。
昭和の頃の大阪のコンビニ勢力としては、1位ローソン、2位サンチェーン、3位ヤマザキデイリーストア&サンエブリー、4位ファミリーマートみたいな時代です。まだサンクスも、サークルKも、セブンイレブンも大阪になかった時代ですからね。大阪ではどこでもローソンの看板があるのに、豊中ではローソンを見かけないと言う現象が起こっていたのです。(まあ、そんなことには誰も気づいていませんでしたがね。) ローソンとしては、大阪で天下は取れたが、豊中が痛し痒しってところでしょうか。

しかし、ローソン親会社のダイエーはふと気づきます。
サンチェーンはキャバレーの経営者が運営している。つまり、小売り業のノウハウを持っていないわけです。そこでと、サンチェーンダイエー傘下に入ってしまうんですね。1980年。ローソン設立3年目のことです。
そうです。ローソン自信としては地団駄を踏んでいるのかもしれませんが、サンチェーンが一応ダイエーグループに入ったことで、グループ間で融通も効くし、豊中を外様コンビニに売り渡さなくても済むので、好都合だったのでしょう。ローソンが出店出来なくても、代わりにサンチェーンを出店するだけでいいだけですし。


しかし、ダイエーも考えます。同じダイエーで2つの会社を経営していてもいいのか? やはり効率化を考えるのですね。
昭和も終わりかけ、バブル直前の1985年、ローソン・サンチェーンの運営統合を模索するように、ローソンとの商品の共同配送を選択しちゃいます。物流をダイエーに委託してしまうという、アキレス腱を取られてしまったサンチェーン。その頃のCMも同じようなものになってしまいました。


ローソンとサンチェーンのCM 1990 - YouTube

そして1989年、元号も平成に変わって3月、サンチェーンはローソンに統合、サンチェーンブランドがなくなってしまいました。

ダイエーはやっぱりすごかった

そして、肝心の豊中市内のローソン出店規制問題はどうなったか……結局、なし崩し的なものになってしまい、有名無実化してしまいました。
サンチェーンがローソンの看板に変わってしまい、豊中市内にはローソンがうじゃうじゃ開店。もう、この頃はコンビニの24時間かなんか当たり前になり、コンビニ自体に市民権が広く認知されました。ローソンが新たにオープンしても、誰も文句を言わなくなったためですね。(逆に歓迎しちゃいますよね)

ダイエーのお膝元のお隣の町、豊中で起こしたローソン出店問題。結局、親会社のダイエーが機転を利かせて、また、ダイエーのグループのさらなる経営基盤を構築するためにサンチェーンを傘下に入れることで、大阪のコンビニ運営の危機を乗り越えたのでした。