大阪の話題とかそんなん

第1回市バス旧路線を巡るまちあるき 終了しました。(その1)

以前、こちらでも募集しておりました「市バス旧路線を巡るまちあるき」を開催いたしましたー。


12月7日、当日は天気に恵まれ寒い日でしたが、風がなくコンディションもまずまずのまち歩き日和。
今回は、私の地元になった淀川区。阪急バス加島線を巡るツアーということで、十三から神崎橋まで歩きましたよー。(今回は、ワタクシ全く写真を撮っておりません。ご了承ください。)

この日、私はPocket WiFiを持ってくるのを忘れるという大失態で、当日の参加者がわからんという事態に。
まあ、ついったを見れていたので何とかなったのが幸いでした。こういう時にPHSで通信が出来るHybridW_ZERO3は欠かせないですねー。
さて、駅前の喜八洲で酒まんじゅうとみたらしだんごを買い込み、いざ出発~。

今回訪れたのはこのあたりですー(資料を公開します)

1)奇跡!見事に残った架線柱新北野1交差北側、野田阪神行きバス停そばにあります。
トロリーバス1号線(神崎橋-大阪駅前間)昭和28年9月1日開業、昭和44年9月30日廃止
45年経った今でも、トロリーバスの架線柱は健在である。しかし、ここ十三付近は電柱地中化完了地区であり、本来なら撤去されてもおかしくはない。ただ、ここには市バスのバス停が存在し、電照式バス停であるために、この照明を灯す電線を架線(がせん)するために奇跡的に残った。現在は立ち上がり柱(地中化しているケーブルを引き上げる電柱をこう呼びます)としての役目があるために、撤去されることはない。(はず)
2)地籍図は語る
3)所々に顔を出す、昔の道路

4)三津屋架道橋
大正8年に道路法が制定。阪神国道(国道2号線)が開通するも、それ以外の道路は相変わらずの古い街道。全くの手つかずの状態。
大阪府は十大放射道路を計画。昭和になって順次予算を投入し、国道2号線(国道1号線)、大阪奈良線(国道25号線)、大阪池田線(国道176号線)などを整備。
大阪伊丹線は、着手が遅れていたものの、戦後すぐに開通した模様。(スイマセン、資料探せませんでした) その時に作られた架道橋。中津架道橋よりも少し新しい。
完成後も、バスは旧道を走っていたようです。
この道路にトロリーバスが走ることを想定されていたであろうにも関わらず、架線柱はありえないくらい貧弱……というか、無理矢理な取り付け方をしているのに注目。
また、新幹線建設時に切り取られた架線柱もあります。
5)俺たちのお気に入り、ぼんち揚げ
元々東京であられ・せんべいを製造販売していた会社。
昭和14年に大阪工場を設置するも、東京・大阪の工場が戦災で焼失。戦後は大阪に本拠を移し生産再開。
もち米の入手が困難だったこともあり、草加せんべいをヒントに、うるち米の揚げせんべいを開発。昭和35年のこと。
昭和38年に「ぼんち揚げ」に名称変更。味付けも関西に合わせると爆発的ヒット。名前は山崎豊子の「ぼんち」という小説から拝借したらしい。
阪神大震災の時、阪神高速神戸線が横倒しになった付近の看板に掲げてあった、「ぼんち」の3文字が印象に残っています。
6)昭和レトロ街区
7)工場が変える、町の風景と通勤需要

8)石敢當(いしがんとう)
加島東バス停付近。雪屋食堂という、以前食堂をされていた家の横にあります。
魔除けの石標。中国や朝鮮半島由来のもの。直進しか出来ない魔物が家屋に侵入するのを防ぐ役割があるらしい。
沖縄・九州方面に多いらしいが、最近はネットなどで販売されている関係か新しいものが次々と出現しているそうだ。
ここも昭和60年代に建立?自動車に当たられたのかな?
9)香具波志神社と銭座
社殿は阪神大震災で倒壊。その後再建。
大阪市内でいちばん大きなクスノキがあったらしいけど、枯れてしまい、切り株に小さな祠が建ててある。
神社の北に寛永通宝を作っていた銭座があった。
江戸中期、国産銭の寛永通宝を民間で製造。銅の減産のため、鉄や真鍮などを製造していたらしい。
ちなみに、この寛永通宝は昭和28年まで使用出来たんだって。つい60年前ほど前じゃない。
10)モスリン
羊毛で作った布のことらしい。現在国内では東北地方で家内制手工業で細々と生産されているだけとか。
毛斯倫紡績が、大正末期に現在の尼崎市戸ノ内に工場を建設。ウッハウハだったらしい。出荷の時に神崎川が邪魔と言うことで、木製の橋を造ったのが 毛斯倫橋。読めません。今は毛斯倫大橋。
戦時中に航空機製作の軍需工場になったがために空襲に遭い、壊滅状態になる。会社解散。今は尼崎の市営団地になっているようだ。
11)神崎橋車庫と電柱
トロリーバスの車庫として建設。開業時は7両しかなかったが、守口まで開業すると多数の車両を管理するようになる。
当時は梅田営業所の神崎橋出張所の扱い。トロバスが電車かバスか、疑問を投げかける管理の仕方です。
36年からトロバスとして独立。廃業の日まで機能していました。
細い電柱は架線柱ではないのですが、当時から建っていたか確証がありません。
12)住居表示
加島3丁目「中○号」

郵政省が音頭を取って、郵便配達の効率化として住居表示を実施した。そんな効率のために、旧町名が棄てられていったのかと思うと 哀しい。゜(゚´Д`゚)ノウンコ-
しかし、それによって、一部ではいろんな変なものを生んでしまった地区もある。
大阪市の中で、「変なもの」のひとつがここ。まあ、理由はわからんでもないですが……

このあたりが魅力あるところでしょうか。

これ以外にも、大阪の町屋が残っていたり、牛乳箱マニアの人とか、謎の石碑とか、建て替えられる廃墟とか、色々なものが発掘されましたねー。

あと、今回の裏テーマとして、地図と電柱に詳しくなるツアーだったことも挙げておきましょう。
地図は、「地籍図」という、地番を確認するために法務局が管理する地図があります。これを見ながら、町のいろんな疑問を見つけていこうというテーマをさせていただきました。うまく説明出来なかった場所もあるのですが、町の境界線や道路と民地の境界線は複雑に入り組んでいるというお話や、境界自体があいまいで、インフラ自体の整備が遅れている場所など、いろんな問題も見る事が出来るお話をさせていただきました。

電柱は、私独自の調査により、無造作に立てられている電柱も、ちゃんと管理されているんですよーというお話。(これはまだ言い尽くせないほど面白いものがある。そして、もっとすごい電柱マニアはたくさんいるので、私なんかはまだまだです)

今回は、バス路線を巡るまち歩きだったのですが、元々、道路が中国街道だったこともあり、歴史や都市インフラあたりのファンの方も楽しめる内容となりました。本当に楽しかったー
これは定番コースになると思うので、また来年、暖かくなったらもう一度巡ってみたいと思います。


予想では2時間ちょっとで終わるはずだったのですが、結局ぴったり3時間かかってしまいました。距離は3キロくらいだったのですが、ぐるぐる歩き回るので、時間がかかりますね。今度からは3時間の予定を見ておかなくっちゃ。